第3章 学びと遊び ー生活の濃度を高める
知覚の文化性
都市空間のハッキング
コスプレイヤーが都市空間に対して行う意味づけや、スケートーボーダーの行う意味付けは、異なる知覚を促している。
網膜では同じものを知覚しているのに、認識される意味は異なる
環世界(Umwelt)とは、この世界がひとつではなく、いろいろな動物において多層的であるというアイディアだ。
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(2005)『生物から見た世界』
例:マダニは目と耳の機能がない。その代わりに嗅覚・触覚・温度に対する感覚が優れている。人間の酪酸の匂いを感知し、吸血の合図となる。
マダニの環世界と人間の環世界では、同じ「酪酸」であっても役割や知覚のされ方は異なっている。
環世界は、知覚器官の違いだけで起こるわけではなく、わたしたちの社会的なコミュニティにも当てはめている。
情報工学者、ライダー、教育者、それぞれの環世界があり、同じ空間にいて、言葉、概念を耳にしてもそれぞれが異なる知覚をする。
頭ひとつ分背伸び
一緒だとできること
共同のなか、指導のもとでは、助けがあれば子供はつねに自分一人でするときよりも多くの問題を、困難な問題を解くことができる
ロシアの心理学者 レフ・ヴィゴツキー「発達の最近接領域」
発達の最近接領域とは、(今日一般的に理解されている)単に「出来なかったことが出来るようになる」という学習や教育の話というよりも、なりたい自分を見出す全人格的な発達や変容を示す概念である。ちょっと先の自分のアイデンティティ変容に触れること、アイデンティティ変容の手触り感ある軌跡を愉しむことであり、発達の最近接領域の肝はここにある。
プレイフルラーニング
「憧れの最近接領域」⇒「プレイフル」
プレイフルとは、物事対してワクワクドキドキする心の状態で「自分とその場にいる人やモノやコトを最大限活かして、新しい価値(意味)を 創り出そうとする姿勢」
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学習とは舞台という場をつくって未来を生成することで、テストや課題に対応することだけではない。
~中略~
「自らが能動的に他者やモノやコトと関わっていくプロセスを通して、生み出される愉しさ」を学びとしている
コスプレの舞台
遊びだとやり方が知らないことや、初めてやること、習熟していないことの領域でもやってみることがある。
線形的な時間から円環的な時間へ
何になるかはわからないことを、わからないままやる。行為することが「何をもたらすのか」を問題にする前に動いている。特定のゴールのためにスキルが適用されているわけではない。ゴールは、やっているなかで生成されている。
結果として大きな成長や変化を感じられなくとも、円環的な時間で愉しんでいる。
わたし達のあらかじめ設定されたゴールに向かう線形的な学び方や実践の「線型的」な現実から、遊びを介した円環的な現実へのジャンプは大変。
作品やキャラクター解釈とも方という表現活動には、批評が含まれている。批判的な活動は鑑賞学習などでみ重視される。