Part2 幻想を手放す
第9章 失われた余暇を取り戻す
- 「時間を取り戻せ」キャンペーンの発するメッセージが、休日を増やそう、労働時間を短縮しよう。でもその要求を裏付ける理屈は「十分に休息をとったほうが生産的に働ける」
なぜ生産的に働くために休まなきゃならないんだ?
余暇を無駄にしない唯一の方法
- 時間をできるだけ有効に活用しようとすると、余暇まで生産的に使わなければならなくなる。
「我々は皆、利益のために読書をし、人脈のためにギャンブルをし、自治体の反映のために夜の街で遊び、週末には家を修理するために家にいることを強いられている」
余暇は数十年前より増えているが、裕福になればなるほど、自由な時間にもやるべきことが山ほどある。
古代の人々にとって、仕事とは、それ自体が不名誉なもの
- 工業化が進み、時給労働が普及すると、変わった。
- 労働者にとっては仕事も余暇もどちらも目的ではなくなった
- 1日8時間労働と週休2日間が余暇の道具化を進めることになった。
- 休日は休むためだけにあるのではない、労働者には、教育や文化的な探求を通して自分自身を向上させるための時間が必要なのだ
- 現代に生きるわたし達は、休みを「有意義に使う」とか「無駄にする」という考え方に染まっていて、将来に向けて価値を生み出さないと感じている。
一度きりの人生を存分に生きるためには、将来に向けた学びや鍛錬をいったん忘れる時間が必要だ。怠けることは単に許容されるだけでなく、人としての責任だといっていい。
生産性と永遠の救済
わたし達は休息の機会を奪う経済システムの単なる犠牲者ではない。実を言うと僕たち自身だ休息を避けようとする傾向にあるのだ。
- 病的なまでの生産性依存は世の中に蔓延している。そして社会心理学者はそういう状態を「怠惰嫌悪」と呼ぶ。
何もしないことが嫌で仕方ないという意味だ。
あなたの日々は完全無欠の未来のための準備期間ではない。
人は強制されなければ休めない
- 休息は仕事を中断すれば、自動的に得られるものではなく、仕組みが必要。
- 宗教は休息のルールを定めてきた
- キリスト教神学者 ウォルター・ブルッゲマンの著書「抵抗としての安息日」のなかで、安息日とは「我々が紙の贈り物を受け取る側にいるという主張を意識し、実践する」ための機会だ。と述べている。「受け取る側」という考えは安心巻を与えてくれる。
- しかし、「受け取る側」になることは、いつにもまして難しい。休息をとろうとしても、落ち着いた時間を確保するのがむずかしい。
- デジタルデトックスやデジタル安息日を取り入れる人も増えてきている。ただし、まわりみんなが動いている中で、自分だけ立ち止まるのは簡単なことではない。
個人でできる対策としては、「不快な感じを受け入れる」ということも大事だ。哲学者のジョン・グレイは「現代において怠惰ほど異質なものはない」と言う。何らかのゴールにつながらなければ意味がない時代に、どうして遊びhがありうるだろうか。
何のためでもないことをする
- 哲学者 キーラン・セティア 「非目標性の活動」その価値は目標達成ではなく、ただその活動をすることにある。
- 友人と話す
- 好きな曲を聞く
何らかの達成を目標とするのではく、ただ活動そのものを楽しむこと。僕たちはそんな活動をもっと日々の生活に取り入れたほうがいい。
平凡な趣味の反逆
- 「非目標性の活動」言い換えれば「趣味」
- 純粋な種は、生産性や業績を重視する文化に対する挑戦状