生殖記 読書感想文 朝井リョウ (著)
はじめに
最近、「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない | 三宅香帆 (著)を、読んで自分の感想(大人の感想文)を書くことにも挑戦を少しづつ始めてみようと思います。 内容についても話すためネタバレ注意です。
本書の感想
前著、『正欲』から3年半ぶりとなる最新長篇。 タイトルが「生殖記」、内容の想像ができないまま読み始めました。 メタ視点で、主人公である尚成(ショウセイ)を解説している。 宇宙人?に寄生されている? など思いながら読み進めていくと、主人公の生殖器目線での解説でした。
多様性・セクシャルマイノリティな目線で人類を見ている本書を読んでいて 感じたのは、人類の成長思考への批判的な考え方? 尚成が同性愛個体側として擬態している生き方を見て、 人類の成長姿勢・生産性重視の生き方への批判?なのかと感じながら読んでいた。
人口も経済も何もかも”今よりももっと”を常に続けていかないといずれ立ち行かなくなるこの世界の仕組みから。
未来永劫果たし続けられるわけがないと実は誰もがわかっている、この共同体(人類)の存続条件から
人という種別だけが自分がいつか死ぬことを知っていて、それに向かっていること。 どんな状態だろうと生まれて、生きているだけ他者へ貢献しているという、アドラー心理学的な考え方を 感じた。
どんな達成にも官僚にも首を横に振って、“今よりもっと”を常に続けるほうを選んで、意味や価値がある社会的動物でいなきゃ、新たな生産性のために自分を新商品化しなきゃ、っていつもいつまでも成長成長成長の呪いのもとで“次”を見つけるために背筋を伸ばし続けているんじゃないかなって
メタ思考での目線では、色々な種別(の性器)を経験(?)していて種別ごとでルールが異なるため
色々な考え方を見せてくれる。
自分の新商品化を、”成長”を、ヒトではなく、“人間”であることをサボらせないよう、監視してくれるもの。
尚成も、そんな中で擬態をしながら生きてきたが
基準としていた“なんとな〜くの空気”そのものがコロッコロ変わっていくんだから。
という世間の「多様性だよね」とか他人の目が心変わるので、それをアテにして自分を形成すべきではないと つまり他者のモノサシではなく、自分のモノサシを持つことの大切さ。
尚成は会社の中で苦手と思っていた颯という後輩との会話で、普段はのらりくらり会話をする中で 珍しく自分の脳内の言葉をそのまま表出させている
「何もしてやりたくないし、背を向けたくなるような場所じゃない。この社会って」
それに対して、颯の回答は
「否定形の意思表示って、誰にも見えないんですよ」〜中略〜「だったらまずは、する、っている方の意思表示を選んでみようかなって。しない、を選ぶのはその後、ていうか最終手段でもいいのかなって」
この2人の対話が印象的で、颯という相手を知らないで読んでいた時と、相手を知った時に↑の話をしていた時に、感じる印象が全勢違うなと。そして、颯と尚成の抱えていた問いは同じなのに、共同体との関係性で考え方が変わるというのも納得。
この心身を無事に未来へ運ぶためにどんな”次”を選ぼうかーこれです。
その答えがこれほど対照的になったのは、共同体との関係性が対照的だったから、なんじゃないかなって。
最後に向かっていく中で、尚成が見出したことが個人的には気になる内容でした。 今まで当たり前に思っていたバイアスを良い意味で破壊してくれました。
生殖医療が発展し体外発生が可能になれば、異性愛個体にできて同性愛個体にできないことは一つもなくなる。
異性愛個体の持つ無意識的な特権意識が引き剥がされる。
人の成長思考の結果、科学が発展すると次世代の残し方さえもヒトではなく 医療でできるようになったら、と思うと女性活躍社会として、妊娠期間がなくなることで 働ける期間が伸びるし、そもそも同性愛個体であっても、子孫を残せるという視点での 生産性は担保される。
幸福度の基準が異なる。それは、生きる世界が変わると言うことです。
読んでいて、思い出したのは「ビジネスの未来」山口周(著)の高原に辿り着いているという成長神話への個人的にも思っていた批判的な目線。
