アウトプットを頑張る

初めてのプログラミング学習期間中の記録と、日頃読んでいる本をメモのアウトプットをがんばります。

【読書メモ】ファンカルチャーのデザイン:彼女らはいかに学び、創り、「推す」のか

はじめに

著者の岡部さんが腐女子コスプレイヤーが創るファンカルチャーに大小さまざまなイベントに集う人々にインタビューを20年くらいの内容をまとめた内容。

インタビューを通して、わたし達がよく知る世界とは仕組みそのものが違う生活世界なのかもしれないと思えてきた。 ファンカルチャーを通して、わたし達のよく知る日常とその異なる日常を支える知恵や仕組み、生き方や人間関係を明らかにする。

運動体としての知

ファンカルチャーの愉しみかた

自律的に「はまりまくって(geeking out)」愉しむ人たちの学びである。 自分の愉しみや歓びを「他人まかせにしない」人たちの学びとも言える。

わたし達の世界 ⇒ 有用性や役に立つことが求められ、結果のための道具に支配されすぎた世界

ファンカルチャーの世界 ⇒出来るかどうか、何になるかわからないけどやってみる学習

ファンカルチャーの学習

実用的で換算可能な価値とは少し離れた、無用の用を伴った熱中のもとにある。さらに言えば、右肩上がりの熟達や成長を志向していないものの、~中略~結果として、継続や愉しさや歓びと結びつく学習

わたし達の学習

生産性や将来性を過度に重視することも少なくない。生産性や将来性は、より速く、より大きく、より強いものに向かうための知と学習を求める。

活動の主語が剥奪されている感覚

もう一つ注目する学習

人びとの「共愉的(convivial)」関係の中にあらわれる。

純粋な非産業主義的活動

予測不能で不確実な社会を生き抜くためにはこれまで以上に遊びが重要だ。 ただし人びとは、遊びの方法を知らない。遊びの環境も整えられていない。

ファンカルチャーの人は、遊びに明確な目的や意思を持って望んでいるわけではなく、愉しみを味わい、さらにその愉しみの先を追求しようとする欲求によって動機づけられた「民衆による学習」である。

消費対象としてとらえられがちな客観的な世界を、主観的な世界として捉え返す生成的な実践