Part2 幻想を手放す
第13章 ちっぽけな自分を受け入れる
自分の人生が無意味ではないかと疑うのは、とても不安なことだ。でもそれは、必ずしも悪いことではない。そう考えること自体、内面の変化が起こっている証拠だからだ。
「自分の人生が嫌いだ」と気づいたとき、よりよい人生への第一歩。
一度きりしかない時間を、本当に有意義に過ごすというのは、いったいどういうことなのだろう?
コロナ禍と偉大なる休止
「本当に大事なことだけをする」という考え方には落とし穴がある。
あまりに大きな理想を抱くと、人は動けなくなってしまう。
我々一人ひとりに宇宙レベルで壮大な人生の目的があるのだという言い方がされる。が、ことでちょっと立ち止まろう。
本当の話し、あなたが人生で何をするのかは、そんなに重要なことじゃない。限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これぽっちも気にしていないのだ。
ほどほどに意味のある人生
あらゆることを自分の視点から判断してしまう傾向は、人間なら誰にでもある。自分が存在している4000週間は、歴史の中で最も重要なクライマックスのように感じられる。
このような自己中心的な見方は「自己中心性バイアス」と呼ぶもので、進化の観点からも理にかなっている。「宇宙規模で見れば自分はどうでもいい存在だ」ということを日々を実感していたら、生存や生殖のために必死で戦おうというモチベーションが消えてしまうからだ。
- 自分の存在を過大評価すると「時間をうまく使う」ことのハードルがありえないほど高くなってしまう。
ミケランジェロ、モーツァルト、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズでさえ、見方によっては宇宙に何の影響も与えていない。
自分が無価値であることに気づいたとき、ほっと安心するのも当たり前だ。今までずっと達成不可能な基準を自分に課してきたのだから。
宇宙的無意味療法は、この壮大な世界における自分のちっぽけさを直視し、受け入れるための招待状だ。
4000週間というすばらしい贈り物を堪能することは、偉業を成し遂げることを意味しない。むしろその逆だ。
並外れたことをやろうという抽象的で過剰な期待は、きっぱり捨てよう。そんなものにとらわれず、自分に与えられた時間をそのまま味わったほうが良い。
人生をありのままに体験しよう