「優秀な人」がいれば、組織の問題は解決するのか?
はじめにーなきものとされてきた「職場の傷つき」
あれだけやって、この評価かよ
部下が動いてくれないのは自分のせい?
仕事やめようかな
こういうことを思ったことがない人はこの世にいないでしょう。
- 「ネガティブ」さは敬遠されている
- 怒ったり、泣いたり、喚いたり
- できる人は「整っている」と思い、自分が心揺れ動いたり、忙しないことがより惨めに思えてくる
キラキラした社会において、言い出しにくいことではあるが「傷ついている」これが本音なのではないか?
本書では仕事における「傷つき」の話を紐解く
- 著者が組織開発として、数々の職場で対話するなかで、いよいよ本題に入ったサインが意外にも「要は自分、『傷ついて」っていうことなのかも」ということばが本人からでてくる
- もやもやではなく、「傷つき」を自覚し、ことばにしてはじめて事態が好転していくことがさまざまな職場で目の当たりにしてきた
職場で「傷つきました」は禁句
- 「傷ついた」と実生活や実社会においては経験をするのに
- 人生の多くを費やし、心血注ぐ場である「職場」で聞き馴染みがないのは奇妙なこと
- 意図的に口外されない、というのはどういうことなのか?
- 「職場で傷ついた」と思わせないしかけ、なんて言おうにもその口は塞がれてきたのではないか?という問いが本書では浮かんできた
「あの人やる気ないよね」
"いいオトナが「仕事で傷ついた」なんて言っちゃダメだよ"
ともっともらしくささやかれてますが、その「もっともらしさの裏」を考えたい
- 職場で傷ついたというシンプルな日常的経験は、次のような発言に擬態し「できの悪い人」へと転じているのではないか
- 「あの人やる気ないよね」
- 「この部署は問題社員ばかり」
- 「残念な上司のもとで成長しそうもない」
- 相手のやる気、態度、リーダーシップなどの「能力」への「評価」にむけられることこそが「職場で傷ついた」と言わせてくれない労働・職業世界を作っているのではないか?
- そんな仮説を解きほぐしていく
言われたことしかやらない職場
多様性は掛け声ばかりで、実は排他的な職場
上意下達で創造性や革新性が立ち現れない職場
などの、疲れた職場という問題は、社員個人の「不出来」「能力・素質」「メンタルタフネス」の問題にされがちです。そして、組織は個人の「選抜」「育成」に躍起になっていますが、足元の個人の「傷つき」をなおざりにしたまま、功を奏すことはあるのでしょうか?
- 本書はこの問いを入口に、「職場の傷つき」が公言されずどのような場面で実は存在しているか?本人が申し出ることはなぜないのか?の背景に迫ることから「組織開発」をはじめていきます
「1on1」に飛びつく前に
- 傷を知覚したら同じことを繰り返さないよう普通は「手当て(ケア)」をする
- しかし、今職場で傷ついた人は「弱き者」「残念な人」として置き去りに、 「もっと強くなるためには・・」の訓話が撒き散らされている
「傷つき」をなきものとした、「1on1」「人的資本経営」「ダイバーシティ&インクルージョン」「ウェルビーイング」などのありがたきコンセプトの数々が、意図に反してもたらしてしまっているものがありやしないか?
誰かが問わねばならないー本書のねらい
仕事というのはいつの世も苦役であり、こころのやわらかな部分が「傷ついた」なんて吐露することは、負け犬の遠吠えだなんて、どう考えてもヘンです。
そんな問題意識を。日常的な「職場の傷つき」に光を当て、そこから見える「職場」、ひいては社会全体の潮流に潜む問題点を言語化していきます。
- 個人の存在そのものが慈しまれる「職場」「仕事」への道筋を照らすのは本書の狙い